大相撲の八百長疑惑が騒がれています。もしうわさが本当だとしたら、相撲ファンに対する裏切り行為じゃないでしょうか?
質問者:「春はぼのぼのさん /15歳」

.勝ち負けを争っているだけじゃないのが相撲。神事であり、興行でもあることを無視して、語ることはできない。

文・渡辺功

◆過去、何度となく話題になってきた大相撲の「八百長」疑惑

 今年2月23日、日本相撲協会と横綱朝青龍ら17人の力士が、「ウソ」の記事によって名誉を傷つけられたとして、総額4億3000万円の損害賠償と謝罪広告の掲載を求め、記事を書いた人物や、その記事を載せた週刊誌の発行元である出版社などを訴えた。
週刊誌は今年1月下旬から、昨年の九州場所と今年初場所で優勝した朝青龍の取組のうち、大部分が八百長だった、やる前から勝敗が決まっていたと報道した。記事に名前の載った力士たちから事情を聴くと、全員が揃って疑惑を否定したため、日本相撲協会は訴訟に踏み切ったんだ。
 大相撲の「八百長」が話題になるのは、じつはいま始まった話じゃない。有名な例としては、1963(昭和38)年の秋場所、千秋楽結びの一番。優勝を賭けた横綱同士の全勝対決で、大鵬が柏戸に勝った取組を、作家の石原慎太郎氏(現・東京都知事)が「協会ぐるみの八百長」とスポーツ新聞に書いて、大騒ぎになった。相撲協会は石原氏や新聞社を訴えたが、後日石原氏が謝罪。協会は訴えを取り下げた。
96年にも、ある元親方の証言に基づき、今回とは別の週刊誌が「八百長告発」の特集をした。このときも協会は裁判に訴えたが、元親方が病死。結局裁判にはならなかった。ほかにも協会が訴えてはいないものの、廃業した力士や匿名の現役力士(とされる人物)が、週刊誌の誌面で「八百長」の存在をたびたび指摘している。

◆数字に見る「疑惑」の温床

 もちろん日本相撲協会は、「八百長」の存在を否定している。それでも、疑惑が完全にはぬぐえないような数字も残っている。
95〜99年の4年間。全24場所の幕内下位の力士10人、のべ240人のうち、173人が勝ち越していた。つまり負け越すと十両に落ちる可能性が高い番付にいた力士のうち、じつに72%が勝ち越しに成功していたんだ。しかも173人中93人の力士が8勝7敗と、ギリギリの成績で勝ち越していた。どちらも統計学の専門家によると、不自然に多い人数だという。(「うっちゃり」はなぜ消えたのか/眞石博之著 日本経済新聞社より)
 また89年以降の11年間に渡り、大相撲幕内の全勝敗を調べたところ、千秋楽に勝ち越しのかかった7勝7敗の力士と、すでに勝ち越しを決めている8勝6敗の力士が対戦した場合、79.6%もの高い確率で7勝7敗の力士が勝っていた。ところが翌場所、同じ顔合わせの取組があると、前の場所では勝っていた力士の勝つ確率は、40%にまで下がっていたんだ。(ヤバい経済学/スティーヴンD.レヴィット、スティーヴンJ.ダブナー著 東洋経済新報社より)
 お互いの番付を守るために、力士同士で「助け合っている」と思われても、仕方のない数字だろう。 
 ただし相撲とは、ただ勝ち負けだけを争っているわけじゃない。疑わしい取組かもしれないが、それだけ負け越したくない、どんなことをしても幕内から十両に落ちたくない意識の表れだとも言える。
番付には、スポーツの順位という以上の意味がある。相撲の世界においては、何勝したかにはあまり意味がなく、品位や美しさも考慮して決まる「番付」こそが、絶対の基準なんだ。

◆神事や祭事の側面を持つのが相撲

武蔵国や常陸国、山城国・・・といった各地の力自慢が集まって、自分の国の「五穀豊穣(穀物が豊かに実ること)」や「天下泰平」を祈るために、力と技を競ったのが相撲の原点だ。
たとえば「四股(しこ)を踏む」とは、元々「醜を踏む」と書いた。すなわち足で踏みつけて、地面に潜むさまざまな邪悪なものを鎮めるという宗教的な儀式だったんだ。いまでも神社やお寺を建立するとき、地鎮祭に力士を招いて土俵入りを催すことがあるのは、そのためだ。
また、番付の最高位である横綱に昇進するには、勝敗だけじゃなく、力士の「品格」が重視される。それも、横綱に神様の姿を重ね合わせているからだ。全国各地に伝承されている草相撲だと、「勝てば豊作になる」役回りの力士が、あらかじめ勝つように決まっていることも珍しくない。
相撲とは、神に祈りを奉げる行事であり、日常から離れた楽しいお祭りでもある。観る側が豊作や平和を感じて、楽しく幸せな気持ちになれるように収まっていく。そんな演劇性を持っている。
番付の頂点に立つ横綱には、常に強くあって欲しいとお客さんが望み、美しく勝つ横綱の姿を見たいのであれば、その要求に応えてみせる。それが相撲のあり方なんだ。

◆2,000年の歴史のなか、時代に合わせて形を変えてきた相撲

 仕切り線の間隔が70cmしかない至近距離で、体重100kg以上の巨大な肉体を、頭からぶつけ合う。そんな過酷な競技を、本場所だけで15日ずつ年6場所、計90番もこなすのだ。どこかで「助け合い」をしないと、ケガ人だらけになって、人気力士が次々と休場や引退へと追い込まれてしまう。もしかすると、そのほうが「ファンを裏切る」ことだと、相撲界では考えられているのかもしれない。
 過酷な競技、神に捧げる行事、お客さんを楽しませる興行。この3つの要素がバランスを保って、相撲は成立している。時代によって、競技の要素が強くなったり、神事や興行の要素が強くなったりしながら、相撲は2,000年もの歴史を重ねてきた。歴史が途絶えないように、観る側の望む形へ相撲は変化してきたんだ。
今回の「八百長記事」をめぐる裁判の行方は分からない。けれど、週刊誌の記事や裁判の判決に、相撲が左右されることはない。相撲の形は、私たち観る側が何を相撲に求めるのか。それによって、決まっていくんだ。
もっとも、今回のような「八百長疑惑」が騒がれ、しかも相撲界内部にいる人からも様々な「情報」が漏れているということは、現在の相撲界が、何か改革しなければならないような事態が起こっている、とはいえるのだろう。

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