「野球やサッカーなどビデオを見ると明らかに審判のミスジャッジだとわかることがありますが、これだけITがすすんでいるのにどうして、微妙な判定にはビデオを使わないのですか」
質問者:「トラッキーさん/14歳」

ビデオ判定導入は、物理的に難しい。それゆえに、人間である審判の存在が絶対になってくる。

◆物理的に難しいビデオ判定


 レフェリーが人間である限り、ミスジャッジはつきもの。それは当然と言えるけれども、ミスジャッジかと疑われるたびに、人間よりも正確な「機械」(ビデオ)を用いた判定はできないものか、という議論がなされているね。
 実際に、日本では行われていないけど、プロ選手が1チーム13人でプレイする「ラグビー・リーグ」では、ビデオ判定を取り入れている。また、アメリカでのアメリカン・フットボールの試合にも取り入れられている。けれど、トライやタッチダウンかどうかの判断が難しいときや、タッチラインを出たか出なかったか、というような一部の限られた場合にしか用いられていないんだ。では、なぜジャッジのすべてにビデオ判定が使われないかというと、それは物理的に不可能なんだ。
 たとえば、昨年行われたワールドカップサッカーで、誤審として騒がれた韓国対スペイン戦のプレイを例にとってみよう。後半4分、フリーキックからスペインのデ・ペドロ選手がクロスボールをあげ、バラハ選手がヘディングシュートを決めた瞬間、デ・ベドロ選手がクロスボールをあげる前にゴールラインを割っていたという判断から、審判がホイッスルを吹いたんだ。ボールはそのままゴールネットを揺らしたのだけど、結果は「ノーゴール」。スペイン側はそれに猛抗議したが、判定はくつがえらなかった。
 そこで、よく考えてみよう。もしその判定が、ビデオ判定による「正確な」審議の結果、ミスジャッジとして得点が認められたらどうなるだろうか? ゴールキーパーは、ホイッスルを吹かれた瞬間にプレイする意識をなくし、ヘディングシュートに反応しなかった、と主張する。その主張は、もちろん正しい。だから、キーパーとしては、その得点には納得いかないよね。また、仕切りなおしをするとなっても、どこから再開するかという問題になる。仮に、ヘディングシュートの場面から再開すると決まっても、そのときと全く同じ状況を再現することなんて不可能だ。つまり、判定がくつがえることで、新たな問題が発生するわけだから、判定はその時々に審判の下した判断が絶対ということになる。そうなると、ビデオ判定など行うだけ無駄なことになり、もともと不可能なこと、といえるんだ。
 また、サッカーに限らずあらゆるスポーツには、試合の流れというものがある。その流れをいちいちビデオ判定の論議のために中断していれば、どうなるだろう? 時間は莫大にかかるし、選手はやりにくいだろうし、何しろ観ている側にとっても苦痛なはずだね。

◆人間同士だからこそ、面白いドラマが生まれる

 以上のようなビデオ判定の難しさを考えると、一番いいのは、きわどい判定は当然あるべきものとして、レフェリーを信じることだ。
 そもそも、19世紀から20世紀にかけてのサッカーには、レフェリーは存在していなかった。判定は、チームのキャプテン同士が話し合って解決していた。でも、それではお互いの主張を押し付けあい、言い争いが絶えなくなったことから、別の人間に仲裁を頼んだ。それが、レフェリーの始まりなんだ。つまり、レフェリーは仲裁を頼まれた人。スポーツを行っている人たちが、自分たちで解決できないことを裁いてもらうわけだから、レフェリーは絶対的な存在で、スポーツマンは逆らうことができないはずだ。
 こんなエピソードもあるよ。
 昔、アメリカのメジャーリーグで審判の判定が誤りだとして、不利な判定をくだされたチームの監督や選手が猛抗議をはじめた。しかも、スタジアムのオーロラビジョンにそのプレイの瞬間が映し出されると、審判の誤審が明らかになった。すると、審判たちが怒って、「これからは、ビデオ判定にすればいい!」と試合を放棄して引きあげてしまったんだ。その結果、試合を続行できなくなったため、球団の代表者が審判側に謝罪し、微妙な判定をビデオで再生することはしないから、戻ってきてくれと懇願して、やっと試合が再開できたそうだよ。
 とはいえ、今後はビデオ判定が取り入れられる可能性もある。
 たとえば、サッカーのラフプレイには、出場停止などの重いペナルティーを課せられるよね。そんな試合後に決められるペナルティーに関しては、ビデオ判定があってもいいかもしれない。けれど、その程度の使われ方が限界で、スポーツの判定は結局は人間が下すべきもの、といえる。
 そもそも人間がするスポーツを、機械に任せてもいいのか?という問題がある。それは、「人間を信じるか、信じないか」という、人間の尊厳にまで関わってくる問題ともいえる。
 スポーツは、人間が行うからこそ、面白い。
 それは、機械が進歩しようとも時代が変わろうと、変らないはずだから。

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