「ワールドカップを見て思ったのですが、なぜ日本はたったの4年間であんなにつよくなったのでしょうか?前回のフランス大会では予選敗退だったのに・・・」
質問者:「バットマン/13歳」
サッカーは一日にしてならず。長い道のりがあったからこそ、今の活躍がある。

◆サッカー不毛の地に一石を投じた東京オリンピック

あっという間に終わったワールドカップ。今回は地元での開催で、競技場に足を運んだり、テレビに釘付けになったり、それぞれに思い出に残る1ヶ月だったんじゃないだろうか。
なかでも、日本の活躍はめざましいものだったね。歴史的勝ち点、歴史的勝利、そしてベスト16進出(トルコに負けたのは残念だったけど)。この大進歩の背景は一体なんだろうか?「トルシエ監督のおかげ」などとよくテレビなんかで言われたけど、それはどうかな?もっと大きな出来事に注目してほしい。本当の理由は、「日本が歩んできたサッカーの道のり」にあるんだ。その長きにわたる道をたどってみよう。
戦後は、日本中が野球人気で沸いていた時代だった。スポーツといえば野球というように、誰も彼もが野球に夢中。優れた運動神経を持つ選手はみんな野球に進んでしまい、サッカーというと、競技人口が少なく、人気のないスポーツだった。そんな状況だから、日本の他のスポーツに比べても、非常に弱かったんだ。
ところが、東京オリンピックの開催が決定される。日本は、地元でより多くのメダルを獲得しようと、あらゆるスポーツの強化に取り組み始めるんだ。
当然、サッカーにも力を入れることになる。後に「日本サッカーの父」と呼ばれるドイツ人のデッドマール・クラマー氏をコーチにつけ、前サッカー協会会長の長沼健氏を監督においての猛練習の日々。

その甲斐あって、東京オリンピックでは強豪のアルゼンチンを破り(※ちなみにアルゼンチン戦での同点ゴールを決めた選手が、サッカー協会新会長になった川淵さんだったんだよ)、
そしてベスト8にまで食い込むという快挙を成し遂げたんだ。


◆サッカーブームの到来 そして衰退
東京オリンピックの活躍で、日本のサッカーも、ようやく少しは多くの人々に注目されるようになった。
オリンピック翌年の1965年には、クラマー氏の提案から企業チーム(日立、日産、古河電工など)が参加するJSL(日本サッカーリーグ)を設立。運動技術の高い選手がサッカーの場でも、実力を発揮するようになったんだ。
その成果から、1968年のメキシコオリンピックでは、「世界の釜本」として名高い釜本邦茂選手の6試合7ゴールという活躍もあり、見事銅メダルを獲得した。そして、サッカーブームが日本中に広がることになるんだ。各地にサッカースクールができ、サッカーをする子どもたちが一気に増えた。
けれど、サッカーブームは数年のうちで消えてしまう。オリンピック・ブームが去ると、JSLの競技場は、がらがら。観客のいないサッカー場は「(周囲に人がいないので)最高のデートスポット」とまで呼ばれるほどになってしまったんだ。


◆プロ化への道 そしてJリーグが誕生した
オリンピックが足がかりとなり、オリンピック終了とともに熱が冷めてしまった日本のサッカー。その厳しい状態を救い、再び人気のきっかけを作ったのは、またもやオリンピックだった。
1974年、IOC(国際オリンピック委員会)が、選手の参加資格にアマチュア以外のプロ選手の参加を認める決定をしたんだ。
もともとオリンピックは、アマチュアのみの参加。日本もそれに従い、アマチュアしか育てようとしなかったんだけれど、オリンピックよりも世界的に評価が高い「ワールドカップ」(1930年に第1回大会が開かれた)は、もちろん、プロとプロとの戦い。日本は、いつもアジア予選で韓国や北朝鮮に敗れ、その大会に一度も出られなかった。プロ化への道は、日本サッカーにとっても必要不可欠のことだったんだ。

オリンピックもアマチュア規定が削除されたとなると、JSLもプロ選手の参加を認めなければならないようになる。日本のサッカーが強くなるためには、プロとして活躍する選手が必要となった。プロ第一号として登録したのは、当時ドイツでプロとして活躍していた奥寺康彦選手だったんだ。

「プロ」になれば企業チームのJSLと言えど、会社員としてサッカーをするのではなく、サッカーに専念することができるようになるね。それに、サッカー王国ブラジルから、与那城ジョージ、セルジオ越後、そしてラモス瑠偉といった選手もJSLに参加するようになり、ブラジル以外の外国人選手も、プロとして加わるようになった。
プロ選手が次々と誕生すれば、次の目標は、プロチームを作ること。つまり、JSLをプロリーグにすることだった。
まず、プロリーグ設立に当たって、企業の宣伝のためではなく、地域に密着したホームタウンのチームを作ることが決められた。また、「サッカーの神様」で有名なジーコ、リトバルスキー、リネカーといった世界の一流選手を日本に呼び、日本のサッカーと世界をつなげ、世界レベルのプレイができる場をめざしたんだ。
そして1991年、ようやく「日本プロサッカーリーグ」ができるんだ。つまり、Jリーグの誕生だね。


◆未来の選手を育てるJリーグの役割
JSLからJリーグ、そして1993年5月15日のJリーグ開幕式。満員の観客の声援をうけた、プロ選手たちの姿を今でも覚えているよ。
しかしながら、人気を取るだけがJリーグの目標ではないんだ。プロリーグ設立の中で一番大切なのは、「未来の選手を育てる」ということにある。
Jリーグが生まれる前から、「トレセン」というシステムが作られていたんだ。「トレセン」とは「トレーニングセンターシステム」といって、北海道、東北、関東……といった各地域で、優秀な中学生・高校生のサッカー選手を集め、彼らに一貫したサッカー教育を行う、というシステムだった。

従来なら、学校のクラブに入ると卒業後は、違うサッカーチームに入らなければならなくなるね。違うコーチに教えられ、そのチームの都合によって、今までと違うポジションになったりするかもしれない。それは、ひとつのポジションを同じコーチのもとで徹底的に習うよりも、無駄が多く、選手にとってもいい指導にはならないね。
「トレセン」は、一貫してサッカー指導を行うというものだから、長い間選手一人一人の力を磨くことができ、ゆくゆくは日本を代表する選手として育てることもできる。
それに、例えばゲームの最中に選手同士で指示を出す場合、学校によって使う言葉が違っていたら、日本代表チームに入っても言葉が通じない、というような問題も起こるので、「トレセン」では、試合中に使う言葉の統一といったことも教えられた。

そんな「トレセン」のシステムを、Jリーグではさらに広げて、学校のサッカー部ではなく、各クラブに「ジュニア(小学生)チーム・ジュニアユース(中学生)チーム・ユース(高校生)チーム」を創ることを義務づけたんだ。そして、そのチームをJリーグの下部組織に置いた。つまり、未来のプロ選手をプロのチームのプロのコーチが育てるというシステムを確立したんだ。
その「ジュニア・ユースチーム」で育った選手が今、ワールドカップで活躍しているんだよ。
稲本選手はガンバ大阪のジュニアチームに所属していたよ。そして、そういう選手たちが世界のユース大会で活躍するようになり、1999年にアフリカのナイジェリアで開かれたワールドユース大会では決勝まで進んで、2位になった。


◆今後ますます躍進のサッカー  一方で・・
以上のことから、日本のサッカーが強くなったのは、昨日・今日で解決する問題ではないということがわかったかな?
東京オリンピック、JSL、メキシコ・オリンピック、Jリーグの誕生、そして4年前のフランス大会でのワールドカップ初出場、今回のワールドカップ・ベスト16……と、長い道のりがあったんだ。まさに、「ローマは一日にしてならず」の、サッカー版だね。
今後も日本のサッカーは、ますますより強く、より活躍が予想されるだろう。次回、2006年のワールドカップ・ドイツ大会も大いに盛りあがるんじゃないだろうか? まさに、未来が楽しみなスポーツがサッカーなんだ。

一方、野球の世界はというと、相変わらず中学・高校と学校の組織だけで、18歳以下の世界ジュニア大会には、高校野球の夏の甲子園大会があるからといって高校生は参加していない。
そのせいかもしれないが、最近は国際試合をすると、簡単には勝てなくなっている。ほんの10年くらい前までは、日本の高校生は韓国や台湾やオーストラリアが相手だと、2桁勝利をおさめていたんだけれど、世界ジュニア大会を経験して、いろんな国々がどんどん強くなっている。おまけに、「プロ野球」と「アマチュア野球」が別の組織で、なかなかうまく協力できず、オリンピックでも野球の国際大会でもメダルを獲得できなくなってきた。
サッカーと野球。これからは、どちらに未来があるんだろうか?双方の成り立ち方をみれば、その答えは一目瞭然。日本の野球も、早くサッカーのような組織に改めなければ、将来が心配だね。

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